田中美奈子さんが女優の桐谷美玲さんが出演するソフトバンク「ワイモバイル」の新CMで約30年ぶりにボディコン姿を披露して話題になりましたね!
田中美奈子さんは1980年代に美脚が有名な美脚クイーンとしてCMで登場して人気となっていました。
その後は田中美奈子さんは女優として長らく活躍していました。今回は田中美奈子さんの全盛時の過去について調べていこうと思います。
もくじ
田中美奈子の美脚画像が話題!学園祭の女王といわれた!

田中美奈子さんはアイドルと歌手として活動をしていた当時は「学園祭の女王」と言われた程で特に若い人から人気でした。
カヴァー曲の「涙の太陽」では超ミニスカートの美脚を披露して話題となっています。その時に自分の瞳に1億円の保険をかけて話題にもなっていて芸能界の中でも随分と話題となっていた人物だったんです。
田中美奈子さんは現在でも充分に綺麗ですが若い頃の時もその美貌を生かして芸能活動をしているといった感じでした。
現在の女優さんとはまた違ったセクシーさを出していたタレントさんと言えそうです。また田中美奈子さんは女優以外にもアイドルと歌手時代にも美脚とセクシーさで売っていて今でも珍しいタイプと言えそうです。
新しいソフトバンクのCMでは1980年代から体重が変化していないそうで歌手時代と変わらずの美脚を披露していました。
まだまだ美脚クイーンとして活躍できるスタイルを誇っていることから普段から体型維持に関しては相当な努力をしているのではないでしょうか?
1984年 高校時代にミスマガジン準グランプリに!

田中美奈子さんは1984年のまだ高校生だったころにミスマガジンの準グランプリに輝いています!ミスマガジンとは1982年から2011年まで行われいたミスコンテストです。
ビール会社や水着メーカーのキャンギャルを別とすればその第1号なんです。少年マンガ誌の主催ではじめは正統派アイドルの登竜門でしたが時代変わるにつれてグラビアアイドルに段々んとなっていっています。
そしてミスコンで賞を取った人物はそれが誌面やテレビ局に出ていくこととなっていきました。
ミスマガジンとは芸能界への登竜門として有名になっていた美少女コンテストです。田中美奈子さんは1982年の初代の後の2代目の準グランプリということになります!
1980年代にはミスと準ミスを合わせて芸能界で成功したばかりの人たちを生み出しています。1990年に細川ふみえさんがグランプリに輝いてから注目されてマンガ週刊誌にも水着グラビアが登場することとなっていきました!
さらに2001年にはミス週刊少年マガジンとミスヤングマガジンに分かれていてグラドルたちが人気になっていきました。
そういった歴史を見てみると田中美奈子さんは初期で元祖の受賞者だったということで今後歴史に残る人物と言ってもおかしくはないと思います。
田中美奈子は八千代松陰高等学校に通っていた

田中美奈子さんの出身高校は千葉県の八千代松陰高校で偏差値は当時で54程の学校です。
現在の八千代松陰高校はIGSコースという特進コースを設置していて当時とは随分と変わってきています。
田中美奈子さんは千葉県船橋市立船橋中学校から八千代松陰高校に進学しています。
小学生の時には実は田中美奈子さんは女子サッカーチームに入っていて中学校と高校にはテニス部に入っていました。運動神経はさすがによかったようで体育教師を目指したこともあったほどです。
芸能界入りしたのは高校3年生の時ですが学業と両立させていて無事に卒業しています。芸能界に入っていなかったら本当に学校の先生になっていたのかもしれませんね!?
1987年 87エイエイガールズ!モモコクラブ!

田中美奈子さんは1987年に「87イエイエガールズ」を結成して活動しています。メンバーはレナウンのオーディション入賞者で結成されていて真木望さん、加藤麻由美さん、田中美奈子さんでした。
テレビでは1986年からTBS「モモコクラブ」の桃組No.1312としても活動しています。
モモコクラブとは雑誌の中にある特別ページのことで自薦と他薦か芸能事務所に所属しているかを問わずに美少女を集めていて編集部が認定した女の子の写真を公開しています。
今でいうとアイドルオーディションのようなコーナーでそれが雑誌上でやっていたんです。そのモモコクラブで通し番号としてつけられていた桃組出席番号はおニャン子クラブの会員番号に取り入れられたとされる程の影響力がありました。
そして1986年からはTBS系列のテレビ番組『モモコクラブ』が放送が始まって多くの桃組メンバーがレギュラー出演しています。
その中からは現在の芸能界で活躍している女性タレントもいてモモコクラブに登場していた人も多くて有名になる前の姿が見られる貴重な場としても知られています。
1989年 涙の太陽で歌手デビュー!

そんな中で田中美奈子さんが正式なソロデビュー曲となったのは「涙の太陽」でした!
徳間ジャパンから発売されていて発売されたのは1989年の7月です。当時は音楽を聴く方法がレコードからCDへと移っている途中で田中美奈子さんのこの歌はプロモーションオンリーのシングル盤はレコードで作られていましたがCDのシングルとしての発売となっています。
実はこの曲はカバーとなっていて曲のオリジナルは1965年のエミー・ジャクソンさんです。その後に青山ミチさんがカバーしていてその後の1973年に安西マリアさんがデビュー曲としてカバーしてヒットを記録。
そして田中美奈子さんがまた同じ曲で復活してヒットしたという経緯がありました!
デビュー当時のキャッチフレーズは「89´夏、瞳美人衝撃デビュー!」でデビュー曲が「涙の太陽」に決まった理由には当時の所属事務所の社長夫人が安西マリアさんだったという経緯からです。
そして田中美奈子さんのセカンドシングルはフィル・スペクターの「Be my baby」で洋楽のカバーに挑戦しています。
またオリジナルの歌としてはドラマ『トップスチュワーデス物語』の主題歌に起用された第3弾「夢みてTRY」が初めてのものとなっています。
このように田中美奈子さんはモデル以外にも歌にも才能を見出しているんです。このことから当時から凄い人気だったことがなんだかわかるような気がしてきましたね(笑)
2003年創価大学文学部に入学!

田中美奈子さんの出身大学は創価大学文学部となっています。実は田中美奈子さんは高校卒業後は大学に進学しておらずに芸能活動にしばらくは専念していました。
しかし創価学会の信者だったことから当時36歳の時に創価大学に入学しています。当時の創価学会での役職は女子部の副リーダーと地区リーダーでした!
入会したきっかけとなったのは1999年に動物団体elfを設立した時に賛同人の芸術部員の山本リンダさんであると噂されています。
創価学会と言えば日本では珍しい宗教団体ということもあって田中美奈子さんの大学の入学は注目されました。
しかしこれも田中美奈子さんの自由ですので外野はとやかく言う権利はないですよね。大学も無事に卒業されていますし迷惑をかけているわけでもありません。
ただ創価学会としては広告塔としてかなり信頼のおける人物であることは確かだと思います。今後も田中美奈子さんが創価学会に関わっていくことになるのかどうか注目されていくでしょう。
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