唐沢寿明の若い頃画像ドラマ、映画別まとめ!実は苦労人だった!

唐沢寿明さんは現在では俳優として第一人者という立場ですよね。ここまで実はかなり苦労していて順調に俳優になったわけではなかったんです。かなりの下積みの時代があって結構苦労をしたみたいなんです。

若い時の唐沢さんはどんな感じだったのでしょうか?俳優になる前の生い立ちエピソードも結構壮絶で今の姿からは想像もできない程です。

唐沢寿明さんは当時まだ17歳から俳優活動を始めていましたがなかなか仕事をもらえずに下積み時代が続きました。

そこからようやく脱却できたきっかけは事務所の移籍でした。現在も所属している研音に移ってから好転していったんです。

そして結局、唐沢さんは1990年代を代表するトレンディー俳優の一人として人気を不動のものとしていきました。

8年も下積み生活の苦労人?アルバイトもしていた

どうしても俳優になりたかった唐沢寿明さんは当時15歳のときに東映の撮影所になんと直接頼みに行きましたが当然のように断られてしまいました。

しかも守衛さんに中学を卒業してから来なさいと言われてしまったそうです。そしてその約束通りに翌年に東映の撮影所へといきます。

しかし相手は何も覚えていません。当然ですよね…しかし唐沢さんの熱意が感じたのか東映の養成所にとりあえずは入ることができました。

そして俳優とアクションどちらかを選ぶときにアクションを選らびました。そこにはまだデビュー前のなんと真田広之さんがいたんたあそうで当時憧れの先輩でもありました。

当然のように俳優だけでは食べられない時代に唐沢さんはアルバイトをしていて職種は四谷駅前のセブンイレブンとビルの清掃、そしてショーパブのダンサー兼ウェイターです。

かなりいろんな仕事を経験しているんですね!ショーパブ面接では唐草模様の風呂敷に赤いジャージを包んでもっていた事がウケてなんと一発で合格しています。しかし当時は風呂もトイレもないアパート暮らしです。その下積み生活ではかなり苦労されたんだと思います。

無名時代にはテレビにどうしても出たくて素人が参加する番組の企画にも挑戦したこともありました。とりあえずは行動を起こすタイプだったようですね!

そして事務所を研音へ移籍した後から段々と忙しくなっていきました。というのもさわやかな服装を着て今までの路線を変えたらオーディションに次々と合格していったんです。

もしアクション俳優を続けていたら今の唐沢さんはいなかったかもしれませんね。

 

スーツアクターとは?

東映時代には雑用や裏方をこなして顔の出ないスーツアクターもしていたそうです。あの仮面ライダーのショッカーもやったことがありました。

ショッカーは落ち着いてはいけないという決まりがあって常に動いていたそうです。当時は全く仕事がなかった状態でチョイ役が決まっただけでもうれしいことでした。

スーツアクターは誰がやっているかわからずに日の目を見ることは滅多にないですがそれでも唐沢寿明さんは諦めなかったのは凄いなと思いました。

 

1985年 『ヤヌスの鏡』で不良の子分役で出演

1985年12月4日に放送された「ヤヌスの鏡」では不良の子分役で出演しています。画像を見てみるとまだかなり若いことがわかりますよね!

今までにない不良役もなんだか似合っていますね(笑)この時の唐沢さんは何でもいいから役柄は選ばないという状況だったんでしょうね。

 

1988年 NHKの朝ドラ『純ちゃんの応援歌』に出演

唐沢寿明さんは8年の下積み時代を経てドラマのオーディションにやっと合格したんですがその最初のドラマがNHK連続ドラマ「純ちゃんの応援歌」でした。

そこで俳優生活の大きな転機を迎えることとなります!

 

山口智子と出会う

NHKの朝ドラ『純ちゃんの応援歌』の主演はまだ新人女優だった山口智子さんでした。唐沢さんはその相手役になんといきなり抜擢されたんです。

すでに8年の下積み期間を経て色々と役者として経験してきていた唐沢さんにまだ役者の経験が少ない山口さんは主演女優としての不安や悩みなどを唐沢さんに相談していたんだとか…

そしてドラマの共演を機に2人は交際をスタート。そしてドラマから7年後の1995年に結婚しています。

 

1989年 大河ドラマ『春日の局』に出演

前田利家を演じました。おふくの息子でとても重要な役柄です。1989年の大河ドラマでこの時はまだ下積み後の間もないオファーでした。

唐沢さんは運にも恵まれたようですね!しっかりと下積みを続けていたからこそこうやって慌てずに対処できたんだと思います。準備って大事ですよね!

 

1992年 ドラマ『愛という名のもとに』で人気に

唐沢寿明さんのブレイクした作品となっていて最終回の視聴率は32.6%でした。そして浜田省吾さんの主題歌『悲しみは雪のように』は170万枚のヒットを記録しています。

鈴木保奈美さんと江口洋介さんにとっても重要な作品となっています。さらに今は役者として成功している山本耕史さんや深津絵里さんも出演しています。

 

放映はフジテレビで全12回でした。そしてこれ以後は数々の話題作に主演して俳優として第一線を走り続けていくととなっていきました!

過去に唐沢寿明さんは『おしゃれイズム』に出演して多くの人に知られる存在になった作品としてドラマ『愛という名のもとに』を挙げている程です。

それだけ物語のストーリーも人々の関心を引き付けていたんだと思います!

 

さわやか路線にするよう助言したのは浅野ゆう子

唐沢さんは高校を中退して親にも勘当されている状態でした。当時はオーディションには全く受からずにプロデューサーのアドバイスでチノパンツとポロシャツという格好に路線変更したらその直後のオーディションで1位合格をしています!

そしてこれ以降、仕事が入るようになっていきます実は爽やか路線を進言したのは浅野ゆう子さんだったんです。そのために唐沢さんは浅野さんのことを恩人だと今でも思っています。

しかし最初は爽やか路線は唐沢さん本人のセンスとは全く違っていて内心はダサいと思っていたんだとか…モデルの仕事もしたことがないということで唐沢さん本人は演技の方が大事だと思っていたのではないでしょうか?

そして爽やか路線に変更した時に1992年のドラマ『愛という名のもとに』で演じたエリート好青年の役で一気にブレイクしたんです。

雑誌の特集では「爽やか」、「好青年」という呼び名が付くことが多くなっていき次第に女性ファッション誌の人気ランキングにランクインするなどしていました!

1990年代は当時の人気若手俳優の1人といった存在にまでなっています。

 

2003年 ドラマ『白い巨塔』

唐沢寿明さんと江口洋介さんのゴールデンコンビと言われている作品でこのドラマの主演の2人は愛という名のもとに以来の共演となっていました。

演技も役柄も見事に演じきっていてこの辺りから俳優として認められていった気がします。段々と唐沢さんの演技が評価され始めてきた作品ですね!

 

2008年 超大作映画『20世紀少年』の主役を務める

総制作費60億円で総キャスト数300名を動員製作されたのが20世記少年です。この映画は2008年の1月から6月までは第1章と第2章の一部が撮影されていて8月から第2章の一部と第3章を撮影するという大掛かりなものとなっています。

この映画は唐沢寿明さんの大作映画シリーズの代名詞ともなっていますね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)